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自己紹介

宮林敏雅の気球の思い出

熱気球と関係して2016年で29年(1987年より)

最初は1年間ぐらいはチェース(追いかけ)ばかりの日々でした。

というのも、私たちのクラブにはパイロットがいなかったのです。
(パイロットの資格が要ると知らなかった。)
当初の一年間は早く一人パイロットをつくること。

そのころは、連盟のパイロット規約も今とは違い大変ゆるいものでした。

その後、粗製濫造ではだめだということと、パイロットが増えてきたということで、インストラクターの制度もしっかりして来ました。
(どこの組織や会でもそうですが、人数が多くなるほど、いろいろな人間がいていろいろな事故も起きるので、ルールも厳しいものになっていきます。)

気球人口も少なかったので、確か20時間(同乗フライトもOK)の飛行経験とインストラクタ同乗飛行3回でパイロットになれたと思います。もちろん試験(運がよければ割りと短時間でも)はあります。(1989年11月~練習開始、 2年間で24時間PU/T訓練 1991年12月パイロット取得)

結局、パイロットになってから、急上昇からレベルや急降下からレベルに入る練習をたくさんしました。

その後P1飛行時間75時間以上と乗った機体数10機以上?など回数をクリアしてインストラクターになりました。

はじめた頃は、飛びたい一心で強風で飛んだり、雨でも飛んだり今から思えばずいぶん無茶したものだと思います。(雨で球皮が急激に劣化することも知らず)(雨の中を飛ぶとリップの間から熱湯が降ってきます。(笑))

今は絶対しません。(安全第一です。)

現在、イグザミナー(試験管)もする立場になったら無茶も出来ません。

イグザミナーになって最も重視していることは、いかに安全に着陸できるか?
安全のために、必要なこと行っているかを確認すること。

思い出としては、初めて立山を越えたときは感動しました。
(富山県立山町から長野県川中島付近に飛行)

又、松田さんには迷惑だったと思うけど、関東フライト(とやまロング)に付いていったり、たくさん飛びました。

いつも一緒に飛んでくれた佐藤さんには感謝でいっぱいです。

今年も、イグザミナーミーティングに行ってきます。

気球乗りは個性的な人が多いので、皆さんいろいろなことを言いますが、後輩を育てたいという気持ちは皆さん一緒です。

ぜひ、仲間になってください。

2016/4/14現在 宮林敏雅